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江戸幕府最後将軍の徳川慶喜の直系が途絶える!自民党政権も永遠に途絶えるか?

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江戸幕府最後将軍の徳川慶喜の直系のひ孫の徳川慶朝さんが亡くなられたというニュースが先ほどはいってきました。

世が世ならば18代将軍だったかもしれない徳川慶朝さんの人生とはどのようなものだったのでしょうか?

またこれと同じくして自民党政権の70年の歴史も幕を閉じようとしている・・・

何か、大きな時代の流れを感じるのは私だけでしょうか。

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徳川慶朝さんは

元公爵で徳川慶喜の孫の徳川慶光さん



会津松平家出身の徳川和子さん

の長男として生まれました。



徳川慶朝さんの徳川家康からつづく家系図はコチラです。

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徳川慶朝さんが徳川宗家に次ぐ徳川家の名門の継承者であることがこの家系図からわかります。



慶朝さんお母さんは白虎隊で有名な会津藩藩主

松平容保公の孫

でもあります。

徳川宗家に次ぐ格式の徳川慶喜宗家の直系の当主なので

世が世ならば

”上様”

とよばれていた人です。







徳川慶朝さんは1950年に徳川家の戦国時代からの根拠地である静岡市でうまれ、すぐに東京都の港区に引っ越しました。

出身大学はお坊ちゃん学校で有名な

成城大学経済学部

です。

出身高校のたしかな情報はありませんが、おそらく小学校からエスカレーター式に大学まで成城だったのではないかと個人的には思います。

上流階級の定番の学校である学習院ではなく自由な校風の成城学園にいくところが徳川慶喜公のひ孫らしいですよね。



大学卒業後はホンダ系列の公告製作会社の

東京グラフィックデザイナーズ



公告カメラマン

として20年間働いていました。

まぁ、

ひいおじいさんの徳川慶喜公も大政奉還で野にくだったあとは大の写真好きとしてしられていた人なので血は争えませんね。





慶朝さんは40代で広告会社を退職したあとはフリーカメラマンとして自由に活動されていたようです。

得意の被写体は徳川家にゆかりのあるお城やお寺などの歴史的建造物というのは”らしい”ですよね。

そのほかにも、
静岡文化芸術大学

で非常勤講師として大学で教えていた時期もありました。



2009年にはのんびりしたいというご意向からか東京都町田市から茨城県の水戸市に転居して余生をおくりました。

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コーヒー通としても知られており

自分で挽いたコーヒー豆が

“徳川将軍珈琲”

として商品化されて地元で親しまれています。

コーヒーやカメラなど多趣味でしられており、

曽祖父の徳川慶喜公に負けず劣らずの”趣味のひと”だったようですね。

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徳川慶朝の死因や家族関係は?

つづいて

徳川慶朝さんの家族関係を見ていきましょう。

慶朝さんは昭和50年ころに一度結婚しましたが、相手の女性の具体的な情報はありません。

離婚したあとは生涯独身を貫かれたようです。

趣味の人の慶朝さんにとっては大奥などは必要なかったんでしょうね。

子供もおらず養子もとらなかったので徳川慶喜家の直系はいなくなってしまいます。

なお、

徳川慶朝さんの死因は心筋梗塞だそうですが、ガンを患っていて闘病性活をおくっていたようです。

徳川慶喜家についてくわしくは徳川慶朝さんが書いた本で知ることができます!
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