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【つま恋廃業!】中島みゆき・吉田拓郎/フェスの元祖「ポプコン」の聖地 

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 音楽の聖地・つま恋の営業終了が明らかになった2日、県内の音楽関係者から「残念」「信じられない」などと驚きや落胆の声が上がった。

 設立当時からつま恋で勤務し、数々のコンサートを手掛けた音楽企画ディレクターの木下晃さん(69)=浜松市中区=は「うそであってほしいというのが正直な気持ち」と肩を落とした。「クイーン、吉田拓郎さん、中島みゆきさん…。コンサートの一つ一つが思い出深い」と、裏方として支え続けた43年間を振り返った。

 営業終了を知った歌手や芸能事務所の関係者からも、木下さんへ落胆の声が寄せられている。「つま恋はフォークのみならず、音楽業界にとって特別な場所だった」と語った。

 「てつ100%」バンドのボーカルで、SBSラジオのパーソナリティーを務める杉原徹さん(55)は1980年代、ポプコンでグランプリに次ぐ優秀曲賞を受けた。「ソニーの新人開発担当者の目に留まり、デビューにつながった」と振り返り、「営業終了は本当に残念。跡地は音楽に関係する場であってほしい」と話した。







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この曲は、中島みゆきが吉田拓郎に対して贈った「強烈なメッセージ」であり、激烈な「ラブレター」だとも言われています。
初期の吉田拓郎の歌は「メッセージソング」と言われるものが多く
そのメッセージで多くの若者に影響を与え意識を変えました。
それらのメッセージに強烈に影響された一人の帯広の高校生(当時)が、中島みゆきなのです。
その後の吉田拓郎はマスコミなどで発信したメッセージの意味を尋ねられたら、「ああ、あれは全部ウソだよ!」などと平然と言ったりしています。
正確に理解するには、【みゆきさんと拓郎の関係】【曲が誕生したエピソード】【拓郎世代のジレンマ】
を理解するとよいと思います。
【中島みゆきと吉田拓郎の関係】
中島みゆきにとって70年代の吉田拓郎は「カリスマ」であり
学生時代はミニスカートをはいて拓郎の楽屋に押しかけていた・・との話も。
吉田拓郎を追いかけてデビューしたと言うのは有名な話で
中島みゆきはデビュー当時には「女拓郎」と呼ばれていた。
【誕生エピソード】
時代の先頭を突っ走ってきた(?)拓郎も50才手前くらいで
全く曲が書けなくなり、一説によると引退を考えていたと言われています。
そこで自分の最後の曲として中島みゆきに曲の提供を依頼した、と言われています。
当然、中島みゆきからは散々と説教をされて
「最後の曲じゃないのなら書きます」との了承を受けて
提供されたのがこの「永遠の嘘をついてくれ」なのです。
中島みゆきの凄まじい表現力を全力で注いだ曲だと思います。
字余りの歌詞、言葉使いとシャッフルの曲調は「これでもか!」
と言わんばかりに70年代初頭の吉田拓郎の曲作りの手法を取っていますね。
【歌詞に出て来る地名の象徴について】
「拓郎世代の時代背景」を鑑みてみると
「NYC」「成田」「上海」と3つの地名を出す事で全ての地名に象徴を持たせています。
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