0コメント

世界遺産【白川郷】 歴史の秘密・・・ 母系氏族社会のなごり

9e66c5c59eacec211e5171ef428c0ea3.jpg



◆「白川郷合掌造り集落」が世界遺産に登録されている理由
合掌造り家屋は、豪雪地帯に合わせた建築様式で、日本の民家のなかでも独特の特徴をもつ家屋であること

合掌造り集落は、大家族制度や地域の生産体制に見合った土地利用の顕著な見本であること

合掌造り家屋が険しい山間部の豪雪に耐え養蚕(ようさん)に利用するために工夫された独特な特徴をもつ建築物であること、その集落の自然景観が見事であることが評価されています。

cccc.jpg



◆文化遺産として価値が高いことから、1995年に世界遺産に登録

saijiki_autumn01b.jpg



◆白川郷の合掌造り

合掌造りとは、屋根の形が手を合わせたように見えることが由来だそうで、屋根の角度が60度と急なのは、雪を滑り落としやすくするためのものです。
白川では「切妻合掌造り」といわれ、屋根の両端が本を開いて立てたように三角形になっているのが特徴で積雪が多く雪質が重いという白川の自然条件に適合した構造に造られています。
91482.jpg



◆冬には積雪量200cmを超える豪雪地帯になる

また、建物は南北に面して建てられおり、これは白川の風向きを考慮し、風の抵抗を最小限にするとともに、屋根に当たる日照量を調節して夏涼しく、冬は保温されるようになっています。
合掌造りの屋根裏は、天井が高く、フロア面積は建物とほぼ同等になっています。これは、合掌造りの建築工法の特徴が現されたもので、一般的な家屋のように柱が乱立しません。
この広い空間を2~4層に分け蚕の飼育場所として利用していました。
_____________________________________
_____________________________________
【白川郷】歴史の秘密

白川郷では、かつて一戸に数十名の男女が共同生活する民俗習慣があった。独立した一戸における大人数家族の生活スタイルは、どのようなものだったのだろう。蚕の飼育場所はかって多数の男女が共同生活をしていた。
ビットコイン取引高日本一の仮想通貨取引所 coincheck bitcoin
________________________________________

 かつて、白川村に大家族生活が存在した時代では、戸主夫婦以外の男女は、もちろん兄弟姉妹・叔父叔母・甥・姪などの血縁であり、近親交配の悲惨な結果も、先祖から伝わる経験則のなかで十分に理解されていたはずだから、戸内家族間での性交は戸主夫婦が専用個室で行う以外もちろん許されなかった。
 大きな広い戸内であっても、寝場所は意外に小さく、デイ(男部屋)チョウダ(女部屋)は、それぞれ10畳ほどしかなく、ここに20名近くが寝ることもあったようだ。
 これは、人の目が行き届かないと、男女の間違いが起きるという用心が働いていたのだろうことと、極寒の土地なので、寄り集まって寝る必要があったのだろう。当然、プライバシーなどカケラもないが、慣れれば、それを不快と感じる者も少なかったようだ。
VNuOW9fsU3KOPyEnHWwwh5oi49FGoVMRBDPRqV4VzNd9h1452740733714.jpg



 正式に婚姻できるのは戸主のみでありながら、健康な男女の性欲まで封じ込めることなどできないから、家の者たちは他の家の男女と交際し、婚姻せずに肉体的に結ばれることになった。
 男女の性交は、離れた田に作られていた農作小屋や、夜這い用に設けられた小さな出入口から、示し合わせて、二階や三階の小部屋に行ってすませていたようだ。
 男女の関係は固定することが普通だったが、婚姻の束縛がないため、比較的、自由に相手が変わったようだ。しかし、「男が女を捨てる」場面では、家族の女たちから一斉に口を極めて罵られたと記録にある。
 他に楽しみもない深い山里のため、みんなせっせと子作りエッチに勤しんでいたため、なかには十名近い子を産む母もいた。
 こうして産まれた子は、すべて「家の子」として育てられ、父親側には帰属せず、母の家に帰属することになった。
 こうした男女関係を民俗学では「妻問婚」と呼んでいる。
20150715045154401.jpg
________________________________________

◆妻問婚
夫が妻の下に通う婚姻の形態のこと。招婿婚ともいう。女系制の伝統のある社会など母権の強い民族に多く見られる婚姻形態で、普通、子は母親の一族に養育され、財産は娘が相続する。 かつてこうした婚姻形態を持っていた民族として有名なのは、インド南部ケララ州に住むドラヴィダ人、古代日本人など。
 彼らの家には幾つかの区切りがあり、女性達は共同の広間と自室を持っていて、夫は夜間にその部屋に通う。一人の女性に複数の男性が通うことも多く、結果、女性が妊娠した場合は、遺伝上の父親(ジェニター)ではなく一族の長である女性が認めた男性が女性の夫、子供の社会的な父(ペイター)となる。子は母親の一族に組み入れられ、妻の実家で養育される。社会的な父には扶養の義務があり、畑仕事などで一家を養う。

◆男系社会における妻問婚

古代日本は基本的に一夫多妻制の男系社会ではあったが、財産は女子が相続し、社会的な地位は男子が相続する形態を取っていたと考えられている。基本的に、女子は社会的地位(位階)は夫に準じ経済力は実家を引き継ぐが、男子は社会的地位は父に準じ経済力は妻の実家に準じる。女子の後見人は兄弟や一族の男性であり、男子の後見人はやはり一族の主だった男性である。

◆妻問婚には【母系】と【男系】の二つの様式

白川郷の場合は後者になる。すなわち、中世封建領主(内ヶ島氏)の荘園として拡大した白川郷にあっては、戸主は大領主に帰属する小領主であって、年貢・軍役などの義務、財産を相続するのは男系男子であった。
しかし、内ヶ島氏が登場する以前は、真宗門徒の自治的な地域であった可能性が強く、室町時代以前頃までは、おそらく母系氏族社会であっただろう。

母系社会にあっては、家を支配する家長は母親であり、権力・財産を相続するのも母の血統である。このことの意味は、束縛のない自由な性交が許される環境ということだ。
婚姻による束縛のない自由な男女関係にあっては、父の子を特定することはできず、母の子だけが特定されるため、必ず母系氏族社会になる。また、分散した小家族で暮らすよりも、はるかに効率的な大家族生活を好むようになる。
したがって、人類の権力史が始まる以前、草創期の大部分が母系氏族社会であったと考えられる。男系社会が登場するのは、男の権力、財産、すなわち国家の登場と共にであった。男の権力・財産を相続させるために、母を束縛する男系社会が成立したのである。

父の財産と権力を、父の特定された子に相続させようとすれば、母親を家に束縛して貞操を要求することになり、小家族の方が束縛に都合がよいため大家族生活など成立しない。
大家族共同体生活は、もっぱら母系氏族社会の生活様式である。白川郷に大家族生活が残ることの意味は、実は、中世に至るまで、母系氏族社会の本質を色濃く残していた地域ということがいえよう。
早い時期から男系社会になっていれば、妻を束縛しにくい大家族は廃れ、小家族になりやすいのである。
_______________________________________
ビットコイン取引高日本一の仮想通貨取引所 coincheck bitcoin

この記事へのコメント