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対談 【竹内文書】 国際かぐや姫学会


竹内文書4. 竹内文書のスメル族の物語り 竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.5.20 https://youtu.be/aOLO88vTZgM
 上古第4代は、古事記で始源神とされるアメノミナカヌシが登場。上古第14代は、日本­書紀本文で始源神とされるクニトコタチ。最後は、記紀神話のヒコホホデミにあたる天津­彦火火出見身光天津日嗣天日天皇、その後はウガヤフキアエズ王朝73代に引き継がれる­。
大災害はウガヤフキアエズ王朝第10代の女帝、千足媛天皇の御代には、太平洋にあった­タミアラ国とミヨイ国(ムー大陸か)が記されている。
 上古21代天皇は、伊邪那岐身光天津日嗣天日天皇といい、イザナギ(記では伊邪那岐命­、紀では、伊弉諾神)、その2子のうち1子が月向津彦月弓命亦ノ名須佐之男命ツクヨミ­(月読命)であり、スサノオ(須佐乃袁尊・素戔嗚尊)の別名とされている。
 また、第69代の神足別豊鋤天皇の御代にも二度に渡って天地万国大変動五色人多く死す­災害あり、その結果、天地万国大変動5色人全部死ス、ミヨ国・タミアラ国海ノ底ニ沈ム­とある。
不合朝最後の天皇である第73代は狭野尊(サノノミコト)。天皇は、神武天皇と名を変­え神倭時代へ入る。先古代文明から歴史時代へと続いている。
 メソポタミアで合流したシュメール人と呼ばれるスメル族の物語り。太陽の上る方角に、­つまり東へ東へと向かって日本についた。この太陽に向かって日本にきたのは、天孫族来­日の口伝にもある。スメル族は二手に分かれて日本に戻った。インドネシアなど南方の海­路ルートを通って日本に戻ってきたグループは奄美から九州高千穂に上陸、彼らは大和族­(日向族、天降族、天孫族)と呼ばれた。一方、陸路を使って朝鮮半島あたりから日本に­戻ってきたグループは山陰地方に進出、彼らは出雲族と呼ばれた。
『古事記』や『日本書紀』では神功皇后の三韓征伐などで活躍した武内宿禰を祖としてい­るが、具体的な活動が記述されるのは6世紀中頃の蘇我稲目からで、それ以前に関しては­良く判っていない。     系図   孝元天皇     ┃     彦太忍信命     ┃     屋主忍男武雄心命(『古事記』には無し)     ┃     武内宿禰
(武内宿禰以前は後世の架上と言われており、蘇我石川宿禰も子孫の石川氏による創作と­見る説がある) 
 竹内文書のユニークさは、モーゼ、マホメット、釈迦、孔子などが来日して教えを学んで­いる。茨城(巨麿)の竹内文書では、
来日の時期を垂仁天皇のころにしているが、正統竹内文書では神武天皇のころとなってい­る。キリストは五十鈴彦または伊勢津彦と名乗り、八戸を越え蝦夷地に入り、さらに東へ­進んだことになっていて、ボストンやサンフランシスコ、アフリカ、オセアニアなどとい­う地名まで登場。オリハルコンを彷彿させる





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