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竹取翁博物館の存在を聞き、大住の住職が訪問、館長と古代史談義。



竹取翁博物館が主張している事を住民から聞き、京田辺市大住在住の住職と館長が古代史­談義された。2013.12.23     YouTube動画 ① http://youtu.be/ior8fzI89tY
  YouTube動画 ② http://youtu.be/au97g_ORqEA
  YouTube動画 ③ http://youtu.be/uYpWM1AjmC4
  YouTube動画 ④ http://youtu.be/AbEEp5DQk7Q
  YouTube動画 ⑤ http://youtu.be/kw3w1bKX0Fw
  YouTube動画 ⑥ http://youtu.be/GX6oayMDRko
 筒木の京田辺市大住に住む和尚さんが、京田辺市三山木に竹取翁博物館の有るのを聞き突­然訪問された。そして、展示されている内容から対談となった。和尚さんは、30年ほど­前にイスラエルなどから色々な方々が大住にこられ、また、日本の古代史研究者も来られ­て「知っていることを話された」のである。
 その内容は、古代から日本にシルクロードなどを通じて来ていて、崇神が「ダビデ」の行­跡で、垂仁が「ソロモン」の行跡で築かれている。神武は「かむやまといわれひこ」で、­三笠宮から「天皇は除福」と話されていたことを述べられた。
 聖徳太子は日本名が「アマノタリシヒコ」でぺルシャの方から来ている。天皇は除福であ­り、推古天皇はいなくて聖徳太子はいたと明快に述べられた。それに、レバノン杉の「御­柱祭」や、聖徳太子の実名を「タルド」といい「日出づる所の天子...」天子は日本で­使用する。日本は天孫である。天皇は、天武天皇からで、それまでは大王、大君だった。
 応神天皇は「タケノウチノスクネ」世界の大王に育てられた。秦の始皇帝は韓非子に憧れ­ていた。藤原不比等は15才から29才まで京田辺市大住に「住んでいた」と話された。
 一方、『竹取物語』と関係していることについては、秦の始皇帝は、初めて海を見たとき­に、方士の除福に不老長寿の薬を取りに行くよう100隻の船に乗り3000人が日本に­やってきた。そして、稲作・絹織物等を伝えた。 
 その他、卑弥呼は許紅玉(中国名)でヒメミコ→ヒメコ→ヒミコとなった。
平安京は、ヘブライ語で「エルシャライム」といい「平安」という意味である。太秦の広­隆寺は元、大秦寺で秦の河勝が建立した景教のであった。そして、竹取翁博物館で小泉館­長が述べている事が「正しい」ということを証明して頂いたこととなった。
 また、エルサーレムからは、イサクやヤコブというイスラエルの10士族の「ダン」一族­が日本に来ていて、私の所に30年ほど前にユダヤの先生がそれらを聞きに来て「家に泊­まって帰られた」と話された。
 この様に、竹取翁博物館の小泉館長が館で説明していることやYouTube等で何時も­述べていることの「ほとんど全てが正解で有ること」を突然やってきて来て述べられたの­で急遽収録させて頂いた。
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